Eri Saito
わずかな見せかけ
2025年, ビデオインスタレーション, 14分
偏頭痛の前兆として知られる「閃輝暗点」という現象をきっかけに、脳が生み出す幻影について考察している。閃輝暗点とは、視界の一部に幾何学的な光の波が現れ、一時的に視野が欠けるという脳神経の現象である。
通常、この現象は頭痛が始まる前に消えるものだが、普段目に見えないはずのものが見えてしまうという経験には、不安や恐怖が伴う。それでも、この現象自体は疾患とは見なされず、多くの人が日常的に経験している。自身も慢性的な頭痛に悩まされており、年に数回、閃輝暗点を目にしている。
リサーチの初期段階では、その手がかりとしてオリバー・サックスの著書『妻と帽子をまちがえた男』を手に取った。そこでは、ドイツの修道女ヒルデガルト・フォン・ビンゲン(1098–1179年)が記録した幻視体験が紹介されており、彼女の描いた図像が偏頭痛の前兆としての閃輝暗点に酷似していることが述べられていた。
しかしその後、日本頭痛学会誌に掲載された岩田誠の論文を読む中で、ヒルデガルトの体験は偏頭痛ではなく、てんかん発作によるものではないかとする指摘を知ることになる。さらに読み進めるうち、芥川龍之介(1892–1927年)に関する記述に辿り着く。芥川の遺稿『歯車』には、まさに閃輝暗点を思わせる幻視体験が記されており、頭痛の前兆として「歯車」の像が視界に現れる様子が描かれていた。
本作は、藤沢市アートスペースでの滞在制作プログラム「Artists in FAS 2024」のために、頭痛にまつわるリサーチを進めていた。そして、偶然にも芥川が療養のために晩年を過ごしていたのが、まさにこの藤沢市の鵠沼だったのである。『蜃気楼』をはじめとするいくつかの作品もこの地で執筆されているという。偏頭痛という身体的現象と芥川の文学、そして自分のいる土地との不意の接続は、作品の方向性を決定づける導きとなった。
制作では、書籍からのリサーチを起点に、鵠沼や江ノ島周辺を巡るフィールドワークを行い、藤沢市内で撮影を実施。映像には、現代に生きる芥川を彷彿とさせる男性の姿を通して、日常の中に潜む違和感や、現実の輪郭がわずかに揺らぐ瞬間を追いかけている。
展示では、メイン映像の画面から外れた左側に、一瞬のチラつきのような干渉的な効果を挿入した。視界の端に閃輝暗点が現れるようなその効果は、鑑賞をかすかに妨げながら、脳内の幻影と現実との曖昧な境界を体感させる仕掛けとなっている。閃輝暗点のように、それは確かに存在しながら、すぐに消えてしまう。だがその一瞬に、人は現実の裂け目を垣間見るのかもしれない。
出演:黒住尚生
制作協力:池添俊
フィルムデジタライズ:南俊輔
助成:公益財団法人 熊谷正寿文化財団
制作支援:藤沢市アートスペース

《わずかな見せかけ》(2025年)フィルムスチル
「Artists in FAS 2024」(2025年)展示風景(会場:藤沢市アートスペース、撮影:熊野淳司)