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新しい木を探す

2024年, シングルチャンネルビデ, 17分

アーティスト・イン・レジデンス、Katsurao AIR(福島県・葛尾村) に参加し、福島第一原子力発電所事故の影響が残る当地と復興エネル ギー事業としての風力発電について考えた。滞在先の隣の敷地から夜な夜な運ばれていく風力発電所のブレードを目にしたことをきっかけに、エッセイフィルムを制作。照明を浴びて光る巨大な羽がトレーラーや作業員に導かれる様子は、まるでお神輿のようで、今ここでしか見られないある種の貴重な風景である。しかし、山々に突き刺さる白い構造物が並ぶ光景には異様さがあり、アンビバレントな感情を呼び起こす。作中では、風力発電所を「新しい木」に見立て、原発の安全神話がもたらす心理的誘導や、この風景の行方について考えた。「復興」と呼ぶには遠い葛尾村野行地区に漂う時空のズレをどう埋めるべきかはまだ見えていない。それでも、山々からこの風景を見える/見えないようにするには、わたしたち自身の想像力が問われるのだと感じている。

 

滞在3日目だったと思います。宿泊先で一人くつろいでいると、ピーヒョロロと笛のような風のような音が聞こえた気がしました。家の外に何かの気配を感じて、「お祭りかな?」と期待を胸にカーテンを開けると、大きな白い物体がトラックで運ばれていくところでした。隣の敷地は風力発電のプロペラ(1本が50mもある白いブレード)の積み替え場になっていたのです。

それ以降観察していると、どうやら平日22時頃から毎晩のように運ばれていきます。まるでお神輿のように、LEDで光る巨大な羽が大型トレーラーと複数の誘導車、そして徒歩の作業員に導かれて通過していきます。それらがどこに運ばれていくのか気になり、ある夜、車で尾行することにしました。しかし、トレーラーの走行速度はなかなか遅く、短気なわたしは早々に痺れを切らしてしまいます。さらに、近隣の老人がこちらをじっと見ていたため、わたしは不審者になる勇気もなくあきらめることにしました。

後日、「プロペラは野行地区に運ばれている」との情報を得て現地を訪れると、すでに10基ほどのプロペラが立ち並んでいました。

 

ある夜、田村方面へ買い物に出かけた際のことです。山の中に白く点滅する複数の光を見かけました。それが風力発電の航空障害灯の明滅であることを知り、「葛尾の風力発電も光っているはず」と思い、確認しに行くことにしました。しかし、点滅していたのは1基のみ。もっと他にあるのではないかと別の基体まで車で近づいているうちに、見事に迷子になってしまい、気がつけばプロペラの真下まで来ていました。車のヘッドライト以外何も明かりがなく、携帯の電波もほぼ圏外の森の中に、真っ白な太い柱がそびえ立つ異様な光景に恐怖して汗をかきました。また、トレーラーの並ぶ設置現場のような所まで入り込んでしまい、不法侵入してしまったのではないかと焦りを覚え、一人で半べそをかきながら何とか脱出しました。

帰り道、道路の真ん中で車を停めてライトを消してみても、周囲に人の気配はありません。フクロウの鳴きまねをしてみても返事はありません。月明かりのおかげで木々の境目だけはぼんやりと見えました。ただ、闇の中に何の気配もないことがかえってわたしの緊張を高めました。

 

野行地区は2022年6月に特定復興再生拠点区域になり、避難指示が解除されました。帰還からまだ2年と5ヶ月ほどしか経っていません。復興という言葉の響きだけが軽やかで、ここにある時空のズレをどうやったら埋めることができるのでしょうか。

​(2024.11.21 展示会場掲示テキストより)

《新しい木を探す》(2024年)ビデオスチル

Katsurao AIR Open Studio(2024年)展示風景(会場:旧フジサイクル、葛尾村)

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